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[日语阅读]はた迷惑なリュック

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发表于 2004-2-27 19:07:09 | 显示全部楼层 |阅读模式
はた迷惑なリュック
リュックが流行らしい。男も女もしょっている。

あれはあれで、一つのファッションなんだそうな。ミニスカートにリュックなんてスタイルもざらだ。

たしかに、あれは楽だろう。右手にバック、左手でつり革につかまらねばならない私としては、ホンが読みたいときなど、つくづくうらやましく(私も一つ、ああいうのを買おうかな)と、年がいもなく思ったりする。

車中読書に限らない。同じ本三冊を運ぶにしても、バックよりリュックの方が、肩コリははるかに少なくてすむだろう(この辺の動機から既に、若者とはかなり違っていたりする。)

が、はたのものにしてみれば、あれほど迷惑な物はない。

なんたって、背中が出っ張る。その分、どうしても場所ふさぎになる。

電車の中でも、一人で二人分とっている。通路なんて、通れない。

それでもって、リュック人間にはなぜか、ヘッドホンカセットをしている人が多いのだ。

「すみません」

「すみませーん」

声をかけても、彼らの耳には聞こえない。仕方なしに、実力で押しのけて通るが、彼らは決して、リュックを下ろそうとはしないのだ。押されたらただ、その反動でもって、元に戻るだけである。

どんなにこんでいたって、そうだ。彼らのせいで、苦しい体勢を強いられる私としては、(こ、こんなときくらい、網棚に上げるか何かしろ)と心の中で叫ぶが、通じない。

一体に彼らには、後方に対する気づかいというものが欠けている。自分のリュックが、いかに邪魔になるかが、分かっていない。「空間的想像力」の欠如といおうか。

むろん、世の中甘くはないから、彼らだってしょっちゅう押されたり小突かれたりしているはずだ。それでも全然めげないのは、あまりにいつものことなので、押されようが何されようが、不感症になっているのでは。

降りるときなど、人々の間に、リュックだけ引っかかってしまっている。それをまたぶんぶんとぶん回しながら、振りほどいて降りていく。人に当たろうが何しょうが、お構いなしだ。ああなると、リュックも気の毒である。

目を後ろにつけろとは言わないが(もう少し、リュックの分を計算しろよな)くらいの注文をつけたい。

この前は、ひやりとすることがあった。

学生風の男の子が、駆け込み乗車してきたのだが、背中ぎりぎりでドアが閉まり、リュックがはさまってしまったのだ。手を伸ばしてこじ開けようにも、真後ろなので、どんなにしても届かない。あおむけになった虫のように、腕をばたばたさせるばかり。

周りの人がよってたかって引っぱって、どうにかこうにか抜くことができた。

(危なかったー)

と胸をなでおろした。あれだったら、運転手が気づいてあけたとしても、ホームに引っくり返ってしまったに違いない。

漸く走り出した電車の中で、(空間的想像力がないのも、時には危険でさえあるな)と、しみじみ思ったことだった。

問題:

1、どうしてリュックは、はたのものにしてみれば、これほど迷惑な物はないですか。

2、電車の中で、リュックの人間に「すみません」、「すみませーん」と声をかけて、役立ちますか。

3、作者は、リュックの人間にどうしてほしいですか。

参考答案:

1、電車の中で、背中が出っ張って、その分、どうしても場所ふさぎになるからです。

2、リュックの人間に「すみません」、「すみませーん」と声をかけても、彼らの耳には聞こえません。仕方なしに、実力で押しのけて通るが、彼らはけって、リュックを下ろそうとはしないのです。おされたらただ、その反動でもって、元に戻るだけですから、役立ちません。

3、リュックの人間はもう少し、リュックの分を計算してほしいです。

殃及旁人的背囊

眼下时兴背囊,男女都背着它。

那倒也是,据说是一种新潮。超短裙配上一个背囊,这种装束的人大有人在。

的确,肩挎背囊挺轻松吧。像我右腕上是手提包,左手还得抓住车上的吊环,像读书时,就特别羡慕别人的背囊(我也买一个那样的背囊吧),不过也该想想自己多大年纪了。

哪怕携带三本同样的书,背囊比起提包要轻松得多,肩膀不至于那么酸痛。(这一动机,和年轻人比已经有相当大的距离。)

然而,对旁人来说,没有比背囊更招惹麻烦的了。

无论怎么说:后背鼓出一个包来,那个包无论得占块地方。在电车里,一个人就要占据两个人的地方,连穿过通道都很困难。

虽说如此,背囊一族们为什么多数都带着随身听呢?

“对不起”

“对不——起啦”

你跟他们打招呼,他们却充耳不闻,没办法,只能诉诸武力推开他们挤过去,尽管如此,他们也绝不想放下背囊,被人那么一推,那反作用力只是将他们恢复到原来那样。

无论多么拥挤也是那样。由于他们的缘故,我不得不保持那付很难受的姿势。我心里叫嚷着:(这,这样的时刻把它放到网架上去或者什么地方?)但跟他们是讲不通的。

总的来说,他们对身体后边的情况缺乏足够的关心和注意。 他们并不知道自己的背囊怎样妨碍别人。可否说他们缺乏“空间想象能力”?

当然,社会上的人们并不是那么善待他人。他们也常常被人推来推去,有时被磕碰或被戳痛,尽管如此,他们全然不惧,因为这些都过于平常了,他们是不是感觉迟钝?

下车时,在人流中,老是背囊被什么挂住了。这样少不了手脚并用的乱挣扎一气,解开后再下车。撞着人啦什么的,反正无所谓,只是背囊可要倒霉了。

我并没有说让他们眼睛长在后脑勺上(至少也要算计一下背囊的体积为好吧),估计一下它大致占的地方。

不久前,发生了一件让人心惊胆颤的事儿。

一个学生模样的男孩跑来跳上车,然而,仅擦着他的后背车门就关上了, 而背囊则被夹在车门外边。男孩想伸手撬开车门,可是门在车后,手怎么也够不到那里,他就像一个仰面八叉的(甲壳)虫子,两只手挣扎个不停。

周围的人都凑过来,帮他拽那背囊,费了九牛二虎之力好容易才拽了出来。

(太危险了呀!)

我的心像一块石头落了地。那种情况若是司机发现了,开了车门又会怎样呢?男孩子一定会猛跌回站台上去的。

在好不容易又行驶起来的电车里,我还在深思:(没有空间想象力,有时会带来危险!)

 
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